お客様からの声

ユーザーの皆さまの声

「 『わからない』 の向こうに、確かにある 『伝えたい』 」
——ニューロノードがひらいた、帆花との新しい対話

 

1. 「元気に過ごさせる」ことが、すべての始まりだった

生まれながらにして「超重症児」に分類される最重度の障害のある子どもと暮らす日々は、最初から“コミュニケーション”を第一にしていたわけではありませんでした。

私にとっての第一ミッションは、ただ一つ。娘・帆花(ほのか)が、元気に暮らせるようにすること。

呼吸、表情、顔色、力の入り方——

毎日のケアは、彼女の身体の小さな変化を見逃さないための連続でした。その積み重ねの中で、私は少しずつ確信するようになります。

医学的には「何もわからない」とされてきた帆花にも、彼女なりの“サイン”がある。

そして、その“サイン”は偶然ではなく、経験の中で再現性をもって立ち上がってくる——と。

 

2. ことばの前に、身体が伝えていた

帆花の意思表示は、ことばや文字ではありません。

けれど、力の入り方、視線の動き、わずかな呼吸の変化、心拍や SpO2 の上下、それらのタイミング——

そうした生理的反応や微細な変化が、ある状況では繰り返し現れることがありました。

ここで大切だったのは、そのことに「意味がある」と決めつけることではなく、“意味があるかもしれない”として観察を続け、関わり方を調整し続けることでした。

「ケアは単なる介助ではなく、本人の世界にアクセスするための設計でもある。」私はそう考えるようになりました。

当初の私は、命を守り、毎日を安定させることに必死でした。

ところが、ケアを構築し、観察を積み重ねるほどに、帆花の反応は「生理的な変化」だけでは説明しきれない瞬間を持ち始めます。

「この子は、伝えようとしているのかもしれない」——そう思ったときから、私の関心は“元気に暮らす”に加えて、意思が届く条件づくりへと広がっていきました。

ここから、コミュニケーションを考える旅が始まったのです。

 

3. 「無理」という空気が、可能性を閉じてしまう

ところが現実には、生まれながらにして重い障害のある人たちに対して、コミュニケーション支援の道筋が十分に用意されていないと感じてきました。

特別支援教育の現場でも、療法職の領域でも、「コミュニケーションは難しい」「反応は偶然かもしれない」という前提が先に立ち、試行錯誤や条件調整を始める前に“無理”と決められてしまうことがあります。

さらに、たまたま得られた反応を固定して「この子はこういう人」と本人像を決め、その都度の意思確認を省いてしまう
——そんな“試す前に諦める”空気が、静かに根を張っているのを感じます。

私は母として、何度も思いました。「“無理”と言う前に、本人に届く“入口”を一緒に探してほしい」と。

 

4. 「押せない」から始まった——それでも、入口を探し続けた

帆花は、目に見える自発的な動きがほとんどありません。

そのため、一般的な物理スイッチを「押す」「離す」といった操作で使うことが、そもそも難しい状況でした。

もちろん、そこで諦めたわけではありません。微細なたわみやわずかな接触を拾うタイプの入力機器もいくつか試しました。

しかし、帆花の身体の状態や反応の出方、姿勢や日々のコンディションの揺らぎの前では、“反応を安定して入力につなげる”ことがなかなか成立しませんでした。有線の筋電も試したことがあります。

ただ、電極の位置や配線、姿勢の微調整など、セッティングに細かな条件が重なり、「誰もがセッティングできる状況」を整えられず、継続的に活用するには大きな負担がありました。

本人側だけでなく、支える側の「負担感」は、「継続」の前に立ちはだかる“壁”になるのです。そんな中で出会ったのが、ニューロノードでした。

私にとって大きかったのは、セッティングが比較的シンプルで、ワイヤレスであることでした。

ケーブルに縛られず、日々の生活の流れの中で“試してみる”ことが現実的になる。さらに、iPad の操作につなげやすいことで、コミュニケーションの入口が「特別な場」ではなく、「いつもの時間」に近づいていく感覚がありました。

“できる/できない”の話ではなく、本人に届く入口を、暮らしの中で継続できる形にする。
ニューロノードは、その可能性を具体的に感じさせてくれた機器でした。

 

5. 変わったのは、帆花の「能力」ではなく、私たちの「関わり方」だった

5-1. 「入力が結果を起こす」体験が、本人の中で積み上がった

ニューロノードによって反応が iPad の操作につながったとき、私たちの中で大きかったのは、「入力」が“生活の中の体験”に結びついたことでした。

ただ反応を記録するのではなく、本人の働きかけが、画面の中の出来事として返ってくるのです。

そこで初めて、帆花にとっての「わかりやすい手応え」が生まれたように感じました。

最初に試したのは、操作がシンプルで短時間でも取り組めるゲームです。たとえば、力を入れる(入力)とボールが投げられて、鬼退治ができる(変化)。
この「自分が働きかけたことが、結果として返ってくる」というつながりを、帆花は何度も体験できるようになりました。

支援の文脈では、こうしたつながりを「因果関係」と呼ぶことがあります。要するに、「自分が力を入れた」→「画面が動く/出来事が起きる」という、入力と変化の学習のことです。

そして重要なのは、これを「誰かに導かれて一回やる」だけではなく、本人が一人で、繰り返し練習できる形になったことでした。

出典:YouTubeコミュニバス チャンネル様
 
5-2. 因果関係が「活動」になり、授業の中で広がっていった

因果関係が少しずつわかってくると、次に起きたのは「できることが増える」以上に、活動の意味が変わることでした。

「偶然の反応」ではなく、本人が“動かしている”体験として積み重ねられるようになり、その延長で、特別支援学校(訪問教育)の授業場面でもいくつもの発展が生まれていきました。

たとえば、
• 朝の会を、スイッチ操作で進める(進行の合図、切り替え、選択)
• 楽器を演奏する(入力が音として返る、リズムやタイミングが「体験」になる)
• アプリを利用して、相づちや発言をする

——こうした活動は、どれも共通して、入力が“結果”として返ってくる構造を持っています。

そしてその“結果”が、画面の変化や音や言葉として周囲にも共有されることで、周りの人の関わり方も変わっていきました。

「わからない」まま進めるのではなく、「本人に届く」あるいは「本人から届く」条件を整えて、確かめ、積み重ねる方向へ変わっていくことができたのです。

 
5-3. これは「訓練」ではなく、「本人が世界に触れる入口」だった

ここで起きたのは、帆花の中に突然“新しい能力”が生まれた、ということではありません。

むしろ、本人の小さなシグナルが、本人にとっても周囲にとっても理解しやすい形で返ってくることで、学びが成立する条件が整ったのです。

その結果として、帆花の世界も、私たち家族や周囲の人の世界も、「関わりながら育つ」ものへと変わっていったのだと思います。

けれど同時に痛感しました。こうした入口は、必要な人ほど手にしづらい状況である、と。だからこそ、この経験を“たまたま出会えた家庭の成功体験”で終わらせず、必要な人に届く仕組みに変えていきたいのです。

 

6. 母の経験を、社会の資源にする——ケアの方舟として

そして今、私はもう一つの立場を担っています。代表理事をつとめる一般社団法人ケアの方舟において、重症児者のコミュニケーション支援に取り組んでいます。

「できない」「方法がない」と諦めている人、情報が届いていない人、機器を手に取る機会がない人とつながり、支援を前へ進めていきたいと考えています。

現場には、「知らなかった」「興味はあるが、試す場がない」「相談先がない」「導入後の調整が不安」という声が少なくありません。

必要なのは機器だけではなく、出会い方、試し方、伴走の仕組みです。

私たちはそこを、当事者家族・支援者・専門職・企業と一緒に編み直したいと考えています。

 

7. コミュニケーションは“能力”ではなく、“生きること”そのもの

私は、コミュニケーションを「できる人だけの技能」だとは思っていません。

人間である以上、障害の有無にかかわらず、コミュニケーションは生きることと同義で、必須のことです。

そして、コミュニケーションには多様な形があります。ことばを話すこと、文字を入力することだけがコミュニケーションではありません。その人の方法で、その人の速度で、関係性の中で立ち上がってくるものです。

だからこそ、最も厚い支援が必要な人たちが後回しにされている現状を、私は変えていきたい。「難しい」ではなく、「どうすれば届くか」を問い直したいのです。

 

8. 「『わからない』で終わらせない——伝えるための“入口”を整える」

表出のかたちは違っても、ご本人には必ず「伝えたい」があります。

そして、それが届く条件を整える責任が周囲にはあります。

入口が見つからず止まっているなら、私たちは同じ場所から話ができます。「わからない」で終わらせない。

私たちは、あなたの大切な人の「伝えたい」を叶えたい。

伝えるための“入口”を、いっしょに見つけていきませんか。

 
一般社団法人ケアの方舟 代表理事 西村理佐(母として/支援者として)
 


 

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